極北カナダ・ユーコン準州より、野生動物の撮影活動や極北での暮らしについて綴っています。

2012年2月27日月曜日

Yukon Quest 2012 ③

2012年2月14日、バレンタイン・デー。
徹夜明けで早朝5時にヒュー・ネフ【Hugh Neff】の感動的なYukon Quest初勝利を見たあと、眠い眼を擦りながら3位で入ってくる選手を待ちました。

その男の名はランス・マッキー【Lance Mackey】…犬ぞり界で彼の名を知らない人はいません。

ユーコン・クエスト【Yukon Quest】と並び、世界で最も長くて過酷な犬ぞりレースにアイディタロッド【Iditarod】があります。
アラスカのアンカレッジ【Anchorage】~ノーム【Nome】間で1973年より行われているこのレースの創始者の一人であり、1978年にわずか一秒差で優勝したのがランスの父ディック・マッキー【Dick Mackey】でした。ランスの長兄リック【Rick Mackey】もまた1983年に優勝しており、ランスがマッシャーへの道を辿るのは自然な流れだったのかもしれません。父と兄の栄光を背負い、ランスもまたアイディタロッド【Iditarod】の優勝を目指しました。

2001年、そんなランスを悲劇が襲います。咽喉癌と診断され、広範な手術と放射線治療を受け、彼の夢はついえたかに思われました。ところが彼は胃に栄養チューブを刺した状態で2002年のレースに戻ってきました。この年はレース半ばで棄権することになりましたが、翌2003年に完全休養を取ったのち彼は再び犬ぞりを再開し、2005年にもう一つのビッグ・レースであるユーコン・クエスト【Yukon Quest】に出場すると、初参戦にして初優勝を飾ったのです。その後2006年、2007年、2008年と4年連続優勝し、合わせて2007年にはそれまでの常識では不可能といわれていた偉業を達成して見せます。ユーコン・クエスト【Yukon Quest】の直後、アイディタロッド【Iditarod】に再挑戦し、ついに悲願の初優勝を果たしたのです。1,000マイル級のこの二つのレースの間隔はたったの2週間。それまでは誰もがこの二つの過酷なレースの同年優勝は不可能だと考えてきたのです。彼の偉業はこれだけにとどまりませんでした。翌2008年もまた両レースに優勝して見せたのです。その後も2009年、2010年のアイディタロッド【Iditarod】を制し、ユーコン・クエスト【Yukon Quest】4年連続優勝、アイディタロッド【Iditarod】4年連続優勝、内2回は両レース同年優勝というとんでもない記録を残しました。


私が初めてユーコン・クエスト【Yukon Quest】を見た2010年、ランスは2位でしたがまだ犬ぞりレースをよく知らなかった私は優勝者ハンス・ガット【Hans Gatt】のゴール・シーンを見ただけで満足し、2位以降のゴールは見に行きませんでした。ホワイトホースがスタートだった昨年(2011年)はランスは出場しなかったので見ることが出来ませんでした。
少し犬ぞりレースのことがわかってきた今年…犬ぞり界の王者ランス・マッキー【Lance Mackey】をようやくこの目で見る機会が訪れました。
到着予想は午前10時~11時頃。10時過ぎにフィニッシュ・ライン付近へ着き、少し考えました。フィニッシュ・ラインの周りは柵に囲まれ中にはプレスしか入れません。フィニッシュの瞬間はプレスの人たちが沢山撮ることでしょう。そこで柵の途切れるフィニッシュ・ライン手前50mの辺りでトレイルのすぐ脇にしゃがみ込んで到着を待ちました。犬ぞりとはいえ超至近距離を走り過ぎるのでほんの一瞬の出来事でした。


ついに来た!ランス・マッキー!!

大きな大会とはいえ、ゴールのすぐ手前で柵も無くこんな至近距離で撮れるあたりがレースを身近に感じられていいです。良くも悪くも田舎だなあと改めて感じました。


3位でフィニッシュ・ラインに走り込む。

2012年2月14日午前10時39分。ランス・マッキー【Lance Mackey】3位にてフィニッシュ。


今年は3位だったが余裕の表情。

レース後のインタビューで彼は来年のユーコン・クエスト【Yukon Quest】参戦を表明しました。今年の彼のチームは若く、経験を積ませる年だったようで、「彼ら(犬たち)は今やベテランで、来年戻ってくるこのチームを破るのは大変だよ!」と語っています。


ブーツを脱ぎふやけた足を観客に見せておどけるランス。



王者の余裕と貫禄。



レース後のこういうシーンを見るのが凄く好きです。



言葉は要りませんね(笑)。感じて下さい。

今回一連の写真をYukon Questのfacebookページに投稿したのですが、ランスの人気は凄いと実感しました。ヒュー・ネフが私のブログなど見るわけがないし万が一見たとしても日本語が読めるわけないので書きますが、感動的な優勝を飾ったヒューよりもランスの写真の方が反響が大きかったのです。今回実際に二人を間近で見ましたが、ヒューは身近に感じたのに対し、ランスには明らかにオーラを感じました。ある人がランスの写真にたった一言書き込みました。

“a living legend.”

この一言が全てを語っていると思います。
最近知ったのですが、そんなランスは私と同じ歳でした。私ももっと熱く生きねば!


今回はランスの話に終始してしまいましたがそのころ本多有香は…ヒューたちトップがゴールしたときに休憩していたチェックポイントを午前7時に出発し、次なるチェックポイントを目指しているところでした。ゴールまでもう少しとはいうものの最後まで何が起こるかわかりません。犬ぞりレースは怪我をして走れなくなった犬たちを途中で収容ていくのですが、13頭立てでスタートした本多有香の犬たちはこの時点で5頭脱落して8頭にまで減っていました。おそらく2日後と予想されるゴールに向けて、応援するほうもラストスパートです。

つづく


2012年2月23日木曜日

Yukon Quest 2012 ②

全長1,000マイル(約1,600km)…日本人にはピンとこない距離かもしれません。例えば青森から最短距離(直線距離ではない。道路で。)で下関までが1,600km弱と言えばその長さがわかるでしょうか。その距離を2月の厳冬期に犬ぞりで競う…それがユーコン・クエスト【Yukon Quest】です。



そんな過酷なレースに挑戦し続ける日本人マッシャー『本多有香』。
2006年、2007年、2009年と既に三度出場しているのですが、まだ完走はありません。私が彼女と出会ったのは2010年3月。拠点をアラスカからユーコンへ移し、2012年の出場へ向けて基盤を作り直している頃でした。自分の夢を実現するために、悶々としながらも少しずつ前進していく彼女の強さ、逞しさに、少し似た状況にあった私は何度励まされ勇気付けられたかわかりません。

ついにやってきた彼女の晴れ舞台、Yukon Quest 2012。今年のスタートはアラスカ・フェアバンクス。スタート数日前からYukon Questのオフィシャル・サイトとfacebookページで随時更新される写真やレポートをチェックし始め、 こちらの緊張と興奮も最高潮に達した2月4日午前11時54分、本多有香がスタートを切りました。今年から全マッシャーはSPOTというGPS救難信号発信装置を携行することになりました。私も所有しているこの装置は万一の時のSOSを発信出来るだけではなく、位置測位機能を利用してオンラインの地図上に現在位置を10分置きに記録する『トラッキング機能』も備えています。そのため暇さえあれば彼女の位置をパソコンで確認するという日々が続きました。アラスカで、ユーコンで、そして日本で彼女を支え応援してきた多くの人たちが、私と同じようにパソコンにかじり付いて彼女と共に走っていたのだと思います。情報技術の進歩のおかげでチェックポイントで撮影された写真も即時にアップロードされ、まだ遥か彼方からこちらへ向かってくるマッシャーや犬たちの様子が凄く身近に感じられました。


さてレースはと言いますと、中間地点のドーソン・シティー辺りから、ヒュー・ネフ(Hugh Neff)とアレン・ムーア(Allen Moore)という二人のベテランの一騎打ちの様相を呈してきました。ヒューは有香さんの友人で、ユーコンでキャビンを建てるまでの間お世話になったこともあるという間柄。Yukon Questには今回で12回目の出場となる大ベテランです。常に上位に名を連ねるものの、不運に見舞われ未だ優勝がありません。レース終盤はこの2チームが抜きつ抜かれつを繰り返し最後まで緊張が続きました。ゴールから100マイル(約160km)の最後のチェックポイントでは、トップのアレンに対し12分差でヒューが続いていました。まだまだどうなるかわからないと思われたこの状況で、ヒューに30分のペナルティーが科されてしまいました。必要装備である斧を紛失してしまったためでした。これで42分差に開き、勝負は決まったかに思われました。2009年のレースでもヒューはミス・コースで2時間のペナルティーを科され、4分差で優勝を逃すという苦汁をなめています。
2月14日の午前0時頃から私もパソコンと睨めっこしながら徹夜でゴールを待ちました。先に述べたGPS装置が現在位置を知らせてくれるのですが、残念ながら同じタイミングでは更新されません。更新されるタイミングはそれぞれのマッシャーがスイッチを入れた時点から10分置きなので、常に時間差が生じてしまうのです。ヒューのほうがペースが速く、徐々に追いついているのはわかるのですが、ここまで接戦になるともうどちらが前なのかわかりません。午前4時頃、私もダウンタウンに設置されたフィニッシュ・ラインへと向かいました。
犬ぞりレースに熱狂的な地元の人たちですが、さすがにこんな時間なのでひと気はまばら。待つこと約1時間、ついに「ダウンタウンの外れまで来ているのでもうすぐだ」というアナウンスが流れました。全員が真っ暗闇のコースの先を固唾を呑んで見守ります。誰かが「来たぞ!」と叫び、暗闇の中を動くヘッドランプの明かりが確認できました。少しずつ近付いてくる光に拍手と歓声が次第に大きくなり、ついに誰かが叫びました。「ヒューだ!」。2月14日、バレンタイン・デーの午前5時14分。12回目の出場にして彼はついに、初めて、トップでフィニッシュ・ラインを越えたのです。大歓声も束の間、また誰かが叫びました。「アレンが来た!」。本当に一瞬の出来事でした。後から公式発表で知ったのですが、その差はたったの26秒だったそうです。ヒューの記録は9日と17時間14分49秒。1,000マイルを走りきった上での差、“26秒”は大会史上最も僅差の記録となりました。ちなみにそれまでの記録はヒューがペナルティーのために2位に甘んじた2009年の“4分差”だったそうです。

悲願の初優勝直後のヒュー・ネフ
 1,000マイル…それだけでも途方も無く長い距離なのに、初めてYukon Questに参戦したその日から、彼は12年間かけて12,000マイルもの距離をこの瞬間のために走り続けてきたのです。彼のことを直接知らない私でも胸に熱いものが込み上げてきました。

プレスに囲まれインタビューを受けるヒュー
 最後のチェックポイントで受けたペナルティーに関して、レース後のインタビューで彼はこう答えています。
「それはまるでデジャ・ヴーのようだった。。。そいつはヒュー・ネフのKarma(業)なのさ。」

『26秒差の2位』でも清々しかったアレン・ムーア

僅差で敗れたアレンでしたが彼の顔は意外なほど晴れやかでした。
「私は出来得る限りの最良のレースをした。彼の犬たちがほんの少し速かっただけ。そいつがこの差さ。。。」

マッシャーとは…なんと気持ちの良い人たちなのでしょう。互いに勝つために走りはしたけれど、お互いの健闘を心から称え合う。順位は結果に過ぎなくて、レースを楽しめたことが大切なのだと…この人たちは本当に純粋に犬ぞりが好きなのだなと感じました。

レースを終え、共に戦った犬たちと

家に帰り着き、興奮も冷めやらぬままパソコンを開いて確認すると、本多有香はゴールまで250マイル地点のチェックポイントで休息中でした。まだ2日はかかりそうですが着実に近付いて来ています。安堵したので寝たいところでしたが、3位のチームが10時~11時頃に着きそうだったのでそのまま寝ずに頑張りました。何故なら次に入ってくるその人は、既に『生きる伝説』と呼ばれる“あのマッシャー”だったからです。。。


つづく


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2012年2月21日火曜日

スノーシューでお散歩

Yukon Questの続きは書くのに気合がいるのでのんびり少しずつ書いていきます。

2月はQuestに夢中になっている間にあっという間に時間が経ってしまいました。せっかく買ったスノーシューもまだあまり試せていなかったので、今日は家のすぐ近所の森でスノーシューを履いて散歩してきました。

住宅街の外れですが、森に入るとそこら中に動物の足跡と糞があります。

跳ねているのでかんじきウサギ(Snowshoe Hare)だと思います。現在Animal Tracks勉強中。。。

トレイルを歩く分には問題ないのですが、ちょっとトレイルをそれて分け入るとスノーシューを履いていてもこれだけ埋まってしまいます。


 私の買ったスノーシューは短めで、体重が軽いからこれで十分だろうと思ったのですが、オプションの延長テールが必要そうです。もちろん雪の深さや雪質にもよるのでしょうが。。。この状態で歩くには毎歩ひざの高さまで足を上げねばならず、しばらくすると汗だくに…ちょっとしたいい運動でした。ちなみに帰ってきて温度計を見たら+3℃。暑いわけです。まだ2月だというのにこの暖かさは異常…もう一度冷え込みはくるのでしょうか。。。


さて、歩き回ってはみたものの本日お会い出来たのはアカリスさん2匹だけでした。リスは小さくすばしっこいのでまだ慣れないカメラの練習には丁度良いお相手。

お食事中に失礼しました。

真下から失礼。

こちらに興味があるようで…。

ふさふさのしっぽが綺麗ですね。

この気温が続くと例年より早く雪が無くなってしまうかもしれないので雪があるうちに時間を見付けてまた出掛けたいと思います。


おまけですが最近オーロラがよく見えます。バレンタイン・デーには午後8時前という早い時間から凄いのが出始めました。気温も-5℃ほどと暖かかったので多くの人が外に出て眺めていたようです。

2月14日バレンタイン・デー 午後9時前

2月14日バレンタイン・デー 午後9時前

時間が早かったので多くの子供たちも見られたことでしょう。3歳になったばかりのうちの娘も初めてオーロラを見ました。「おそら、みどり、きれいねー」と、何かが起こっているのだということをきちんと認識していました。

2月18日 午後8時前


2月18日 午後8時前


2月18日 午後8時前


2012年2月20日月曜日

Yukon Quest 2012 ①

書きたいことが山ほどあるときというのはかえってなかなか筆が進まないものだったりします。頭の中を駆け巡る想いを整理するのに時間がかかるので。。。今年のYukon Questは正にそんなレースでした。

日本では馴染みがないかもしれませんが、Yukon Questとは私の住むカナダ・ユーコン準州・ホワイトホースとアラスカ・フェアバンクス間で毎年2月に行われる全長1,000マイル(1,600km)の犬ぞりレースです。私も極北に興味を持つ者として随分前からその存在は知っていましたが、野生動物の撮影に注力するあまり詳しいことはよく知りませんでした…この地に住むようになるまでは。。。

この地に越してきた2010年2月。まだ住むところも見付からず、仕事も無く、先が全く見えない不安の中で見に行ったのがYukon Questでした。このレースは毎年ホワイトホースとフェアバンクスでスタートとゴールを入れ替えながら行われます。この年はホワイトホースがゴール。そろそろトップがゴールするらしいと聞き付けてフィニッシュ・ラインへ向かいました。マッシャー(犬ぞり師)の名前すら知らない状態でしたが、トップで戻ってきたのが地元のマッシャーで4度目の優勝と知り、地元の人たちの熱狂の渦に圧倒されたのを覚えています。

2010年2月 - 初めて見たYukon Quest。優勝者ハンス・ガットのゴール・シーン

その後、生活のために始めた仕事場で知り合ったのが『本多有香』という日本人女性でした。彼女がマッシャーでYukon Questに出たことがあり、その頃は次回の出場へ向けて準備中だということも聞いていました。まだYukon Questのことをよく知らなかった私は最初、「物好きな人もいるもんだ。」「でもこの人熱いぞ。面白そう…。」と感じたことを思い出します。

日々の生活の中で毎日のように彼女と顔を合わせるようになったので、私も自然とYukon Questに関心を持つようになっていきました。さらにこの年のレースの模様がNHKによって取材されていて、後からDVDを借りて放送を見る機会もあり、なかなか見ることの出来ないレース中の様子を写真ではなく映像で見ることが出来、マッシャーの駆け引きの様子も上手く収められていたので一気に知識が深まっていきました。

そして迎えた2011年2月。この年のスタートはホワイトホース。ゴールでは各チームが数日間にわたってバラバラと到着するのに対し、 スタート時は全チームが一堂に会するので圧巻でした。
本多有香はと言いますと、本レース出場を2012年に定めており、この年は若い犬達に経験を積ませるためにジュニア・レースであるQuest 300という300マイルのレースに練習出場し、無事完走しました。

2011年2月 - Quest 300のスタートを待つ本多有香

2011年2月 - Quest 300のスタートを切る本多有香


彼女は元々アラスカ側を拠点に活動していました。しかし、アメリカ合衆国の一部であるアラスカは周知の通り永住権の取得は困難で、アラスカと日本を行ったり来たりの生活が続いていたそうです。こちらで定住できる拠点を築かなければならないという思いから、慣れ親しんだアラスカの環境を離れ、カナダ・ユーコンへ単身乗り込んで来ました。アラスカで多くの人が彼女を支えたように、ユーコンでも彼女の情熱に引き寄せられた人々が次第に集まり多くの人が彼女をサポートするようになりました。土地を借り、キャビンを建て、自らのKennel(犬舎)を作り上げました。平行してカナダ移民権も取得し、文字通り自らの『拠点』を築き上げたのです。

それまで築き上げた全てを一度手放し、ゼロからの再出発…。その状況は私の直面していた状況にも重なり、特別な共感の思いを抱いて応援していました。
同じ職場で働いたのは約一年。ほとんど時を同じくして二人ともその仕事を辞めたため、頻繁に顔を合わせる事は無くなりました。常に何かしら力になれたらと思いつつも、私自身もまだまだ不安定な状況が続いていたのでほとんど何もしてあげられませんでした。
昨夏、私がようやく機材を揃え直し撮影活動を再開したとき、それを私の妻から聞いた彼女は喜んでくれていたと聞きました。彼女も少なからず共感の思いで私を応援してくれていたのかも知れません。

そして2011年の終わり、彼女が2012年のYukon Questにエントリーしたという知らせが入りました。
ついに『時が来た』のです。。。


つづく


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2012年2月14日火曜日

週末の過ごし方

ここ最近は気温0℃前後と暖かな日が続いています。そこでこの週末は家族で近所の湖へ行ってきました。暖かいといっても当然湖は完全に凍っています。目的は3歳の娘をそりで遊ばせてやることと、先日車を壊す原因となってしまった新しいスノーシューを試すため。忙しかったのと、修理中で車が無かったため未だ試せていませんでした。

念願だったスノーシュー。履き心地上々。気分も上々。


凍った湖の上は吹きさらし。あいにく風が強かったので少し寒かったのですが楽しめました。



風で雪が巻き上げられて綺麗でした。


湖上で撮影をしていると爆音が近付いてきて…
「おーい、撮影してるんですけどー。。。」
スノーモービルが横切っていきました。私の後ろにも広大なスペースがあるのですが、レンズを向けている目の前を通り過ぎていきました。こちらの人たちのこういう無神経さには今更もう腹も立たないほど慣れました。今では逆に「面白いカットが撮れる!」と喜んで受け入れるようになりました。




帰り支度をしていると…先ほどまでベビーカー(バギー)を押しながら湖岸を散歩していた人が湖上を横切り始めました。なんとも雄大な散歩風景です。ちなみに我が家も所有しているこのバギーは元々自転車で引っ張るトレーラーのため車輪が大きく雪道や未舗装路も難なく進めます。子供が乗るところはキャノピー状になっていて完全防風仕様です。強大な隣国が大抵の優れた製品を供給してくれるので誇れる製品が少ないカナダですが、この製品はカナダ・カルガリー製。環境が生み出した製品ですね。


夜は天気が良かったので久しぶりにオーロラを撮りに出掛けました。町外れまで来て街灯の光に邪魔されなくなってくるとようやく肉眼でも薄っすらと出ているのが確認出来ました。しかし一番強そうな方角に雲がかかっていました。何ヶ所か移動しつつ撮影しましたが強くなる気配も無く、観光客のようにオーロラのために夜通し起きているわけにもいかないので2時前で切り上げました。いつもこの「切り上げ時」の見極めが難しいです。


 写真を見るとそれなりに出ているようですが、これはカメラの感度が良いためで、肉眼ではぼんやりと白っぽく「たぶんこの辺りに出てるな」程度です。つまり見えていないものまで写ってしまう…最近のデジカメは本当に凄いですね。

2012年2月10日金曜日

復活

「なんで今更・・・」そんな思いに駆られています。現在日本で開催中のカメラショー「CP+」で各メーカーから新製品が発表されました。その中でもワクワクせずにいられなかった機種があります。オリンパス【OM-D E-M5】。私が数年前まで使い続けていたフイルム一眼レフカメラ【OMシリーズ】をデジタルで蘇えらせたようなモデルです。





オリンパス【OM-D E-M5】

フイルムカメラでもオートフォーカスや自動露出、ズームレンズが当たり前の時代に、自分にとって最も重要な機能は最新の自動化ではなく『小型軽量でいて堅牢であること』だと気付き、キヤノンからオリンパスに乗り替えた経緯があります。中古で高校生のころ気になっていた【OM-2 SPOT/PROGRAM】という機種を入手して使い始め、すごく気に入ったので生産終了間近だった最終モデル【OM-3Ti】を購入し、その後も中古で【OM-4Ti Black】と【M-1】を買い足し惚れ込んで使っていました。

一番右がOM-3Ti。ユーコンやアラスカで常に行動を共にした愛機。

フイルムにこだわり使い続けていましたがデジタル化の流れには逆らえずデジタルへ移行する際、現行で最も自分の要望にあったモデルを再検討し、オリンパスには見合った機種がなく今後の方向性も不透明だったためペンタックスに乗り替えました。そして今頃になって僕が望んでいたような機種が出てきたのです。しかしフイルム時代の【OM】と最も異なる部分は、ファインダーが光学式ではなく液晶であること。形は「一眼レフ」っぽいけれど、中身は最近流行の「ミラーレス一眼」だということです。液晶ファインダーを否定はしないけれどまだまだ発展途上なので信頼出来ないというのが正直なところ。それ以外は今オリンパスが持てる技術の全てを注ぎ込んだとも言える内容なので非常に魅力的です。もし今でもオリンパスを使い続けていたなら液晶ファインダーといえどトライしていたことでしょう。レンズ・ラインナップはまだまだなので大問題ですが。
オリンパスは会社が大変な時です。社員さんは頑張っているので応援したいですね。

再びメーカーを乗り替えるつもりは無いので私はリコーと一緒になったペンタックスの今後に期待して祈ります。

余談ですが先日壊れた私の車も復活しました。修理代でこのカメラを買えていた…なんていう事実は気付かない方が幸せ。。。