極北カナダ・ユーコン準州より、野生動物の撮影活動や極北での暮らしについて綴っています。

2012年11月12日月曜日

Foxfireブログ 【熊魂(ユーコン)通信】Vol.6公開

Foxfire(フォックスファイヤー)のブログにて【熊魂(ユーコン)通信】Vol.6が公開されました。
今回はユーコン準州のほぼ中心に位置するシルバー・トレイルの秋の様子です。

2012年8月28日火曜日

Foxfireブログ 【熊魂(ユーコン)通信】Vol.5公開

Foxfire(フォックスファイヤー)のブログにて【熊魂(ユーコン)通信】Vol.5が公開されました。
今回はホワイトホースから近い南東アラスカの二つの港町、ヘインズ【Haines】とスキャグウェイ【Skagway】の紹介です。

2012年7月10日火曜日

2012年6月28日木曜日

Yukon River Quest 2012

2月に散々盛り上がった犬ぞりレース【Yukon Quest】から数ヶ月、夏が訪れたユーコンではもう一つの【Quest】が始まりました。
カヌーイスト憧れの大河ユーコン川を私の住む町ホワイトホースから約740km先のドーソンシティまで競うレースでユーコンの夏の風物詩となっています。

昨年のレースには友人二人がタンデムカヌー(二人乗り)で出場し無事完走しましたが、今年も現地在住の日本人&日系人女性4人+日本からの男性3人がVoyageur Canoeという大型艇で出場しています。

昨日(6月27日)正午のスタートを見に行ってきました。

出廷する日本人チーム
陸地から一斉にスタートし、川岸に並べられた自分たちの艇まで走っていってスタートです。日本人チームのゼッケンは37番、チーム名【EcoChallenge】。彼らも元気に出廷していきました。
今年のレースではチームの現在位置をGPSユニットを使って地図上で確認できるようになっています。こちらで確認しながら全員が元気で無事にゴール出来るよう応援しています。


正午のスタートということでスタート地点には大勢の観客が集まりました。ここに住む人たちにはカヌーやカヤックは大変身近なアクティビティで、集まった人々の顔を見ているとみんな本当にこういうことが好きなんだなと感じます。

スタートを見送りに川岸に押し寄せた観客


最後のチームも無事出廷

通常の川旅であればのんびり2週間ほどかけて下る距離ですが、レースということで丸2日ほどで漕ぎ切ってしまいます。というわけで明日にはゴールでしょうか。

以前はいつか出てみたいと思っていましたが、出た人の話しを聞くとまるで苦行のようだし、2日で下ってしまうのはもったいない気がするので、今ではいつか普通にのんびり下りたいなと思っています。


2012年5月30日水曜日

Foxfireブログ 【熊魂(ユーコン)通信】Vol.2公開

Foxfire(フォックスファイヤー)のブログにて【熊魂(ユーコン)通信】Vol.2が公開されました。
今回はユーコンに春を告げる白鳥の話題です。
ユーコンも随分と暖かくなりました。動物が活動的になっているのでこちらも精力的に活動開始です。

2012年5月3日木曜日

Foxfireブログにて【熊魂(ユーコン)通信】連載スタート

先日、日本のアウトドア・ブランド『Foxfire/フォックスファイヤー』フィールドスタッフになったことをお伝えしましたが、同社のブログで定期的にレポートを寄稿することになりました。
題して【熊魂(ユーコン)通信】
こちら極北カナダの環境や生活、撮影裏話などを紹介していきたいと思っています。
一~二週間に一度寄稿していく予定ですので更新がありましたらこちらでもお知らせしていきます。

2012年4月15日日曜日

ドールシープ 【Dall sheep】

先日、一泊二日でドールシープ【Dall sheep】という野生の羊の撮影に行ってきました。
今回は同じ町に住む写真家の友人と共に出掛けました。場所は世界遺産でもあるクルアーニー国立公園【Kluane National Park】。この国立公園にドールシープ【Dall sheep】が多数生息する山があることは以前から知っており、ずっと撮りに行きたいと思っていましたがようやく実現しました。しかも今回一緒に行った友人は長年ドールシープ【Dall sheep】を撮り続けており、この場所は彼にとって庭のようなもの。心強い相棒です。

以前カナディアン・ロッキーに住んでいた頃に近縁種であるビッグホーンシープ【Bighorn sheep】の写真は沢山撮りましたが、極北地域に住む真っ白なドールシープ【Dall sheep】はかなり標高の高いところに生息するため、これまでははるか山の上に白い点々として認識できる程度の写真しか撮れませんでした。どんな動物も初めて近くで撮る時には興奮します。今回久々に新鮮な感覚でした。

ドールシープ【Dall sheep】を撮り続けている友人が今回撮りたかったショットは・・・オーロラとドールシープ【Dall sheep】。長時間露光が必要なオーロラと動物を一緒に撮るというのはなかなか至難の業です。しかし私もデジタルに移行したときから同じことを考えてきました。フイルムの頃と比べて現在のデジタルでは高感度性能が格段に上がっているので、フイルムでは撮れなかった写真を撮れる可能性が出てきました。長年フイルムにこだわり続けてきた私がようやくデジタルに移行したのもこの『新たな可能性』に移行するだけの魅力を感じ始めたからでした。
さて今回の撮影結果は・・・


昼頃に山の麓に到着。トレイルの無い急峻な斜面を登らねばならないので、互いの装備を確認して必要最低限に絞り込みます。オーロラも狙うため徹夜覚悟ですが、まだ夜は氷点下まで冷え込むため二人でテント一つ、各自寝袋とスリーピングマット一つずつ、調理器具は持たずスナックのみにして登りました。

二時間近く登った頃でしょうか、ようやくシープのいる辺りまで辿り着きました。斜面の何ヶ所かに十数頭ずつの群れが見えるのですが、まず出会ったのはメスと子どもたちの群れ。





彼らの生活環境を目の当たりにすると、たいして植物も無く足場の悪いこんな斜面でよくも生きていけるものだとつくづく感心します。
存分に撮影した後、テントを張る予定の場所までもう一頑張り。なるべく水平なところを探しましたが結局見付からず諦めて斜面にテント設営。
ようやく荷物を降ろして再び撮影へ。今度はオスの群れを発見。


こちらが立派な角のオス


しばし撮影のあと、テントに戻ってスナックをかじりながら夜に向けての作戦会議。
オーロラを背景に撮影するにはオーロラの出る確立が高い“北”にレンズを向ける必要があります。数日前が満月だったので月明かりを当てにはしていましたが、明るさが十分でないとシープが写らないので最悪の場合でもシルエットとして写せるようにシープの後ろに空が来るアングルを探さねばなりません。暗くなる前に準備を整えないといけないので午後7時過ぎ行動開始。そのまま撮影場所での徹夜も想定し、寝袋とマットを持っていきました。座り込んで休む体制に入った群れに二人で少しずつ接近。ベストなアングルを求めて移動しつつ距離を詰めますが、近付き過ぎるとシープが嫌がって立ち上がり移動してしまいます。間合いが非常に難しく、ようやく納得のいくセッティングが整ったときにはテントからかなり離れており、しかもかなりの急斜面。だんだん暗くなってきたので寝袋とマットを取り出しオーロラの出現を待つ持久戦の始まり。
事前のリサーチでオーロラ予報は【強】(Enhanced)、天気は快晴。期待が高まります。待つこと数時間、午前0時頃、ようやくぼんやりとオーロラが見え始めました。


何とか撮れたオーロラ背景のドールシープ


 しかし残念なことにこの夜のオーロラは爆発することなくぼんやりのまま消えてしまい二度と現れませんでした。月も昇る前だったのでシープはシルエットでしか写せませんでした。月の出は午前3時過ぎ。かなりの好条件が揃ってはいたのですが全てがベストには揃いませんでした。簡単に撮れてしまうようではやり甲斐もありませんが。。。足場の悪い急斜面で闇夜を迎えたため結局テントに戻ることは出来ず、寝袋に潜り込んでもズルズルと徐々に滑り落ちてしまうため、一睡も出来ぬまま凍える夜を過ごしました。朝焼けを背景に撮影のあとようやくテントに戻り、再びスナックで空腹を満たしたあとそのまま下山。眠気に負けてそれ以上撮影の気力も無く帰路に着きました。

夜は長かったのでちょっと遊んでみました。連続撮影を繋ぎ合わせた動画です。




大変でしたが面白い挑戦でした。懲りずにまたチャレンジしたいと思います。


2012年3月16日金曜日

フォックスファイヤー【Foxfire】フィールドスタッフ

この度日本のアウトドア・ブランド『フォックスファイヤー【Foxfire】』のフィールドスタッフになりました。
写真好きの方ならご存知かと思いますが、アウトドア・ウェア以外にもフォト・ジャケット、フォト・ベスト、カメラ・バッグ&ザック等、ネイチャー・フォトグラファー向けの撮影用ギアを作っています。

写っているのは私ではありません。念のため(笑)。


もともとフライフィッシング用ベストから始まったこのブランド。以下『ブランド・ヒストリー』から同ブランドの理念の転載です。

“フライフィッシングは代表的なクワイエットスポーツのひとつといえます。それは、「自然への挑戦」や「自然の征服」とは異なり、「自然との融和」「自然と の共生」をなす知恵から発生しています。そして、それはフォックスファイヤー総てのもの造りの思想やテクノロジーに結びついています。”

私のスタンスと共通するこのブランドは以前から好きだったのですが、まだ日本にいた2004年~2005年頃、撮影資金作りのために同ブランドのショップで一年間アルバイトさせてもらった経緯があります。最近になって当時の縁が復活し、今回の運びとなりました。

『フィールドスタッフ』の役割ですが、同ブランド製品のPR、製品使用レポート、同社ウェブサイト内ブログへの寄稿などです。写真家の場合はフォトスクールでの講師なども役割の一つですが、私は日本から遠く離れているので今のところ講師の予定はありません。当面はブログへの寄稿からということになります。掲載されたらこちらでも随時お知らせしていきます。
既存の海外在住フィールドスタッフもいないわけではないようですが少ないようで、どういう活動が出来るのか双方手探りの状態です。言い換えればいろんな可能性があるとも言えるのでアイデアを出しつつ楽しみながらやっていきたいと思います。
あわよくば、撮影現場からのフィードバックとして『自分が欲しいもの』を提案し、商品企画・開発段階から関わっていけたらなあと夢見ております。

2012年3月6日火曜日

Yukon Quest 2012 ④

2012年2月16日。
朝起きて日課となったオンラインでの本多有香の位置確認をすると、無事にホワイトホースの近くまで来ていました。残りの距離と平均速度などを考慮して到着時刻を予想せねばなりません。
特にこの日は仕事があったので、休むか途中で抜けるかなど難しい判断を迫られました。
私の予想は午後3時過ぎ着。結局途中で仕事を抜けることにして出勤し、午後2時40分ごろ仕事を抜けてフィニッシュ・ラインまで車を飛ばしました。
祈る思いで車を止めフィニッシュ・ラインに走って向かう途中、前から友人が歩いてきました。
「有香さんは?!」
「5分ほど前に着いたよ。」

・・・『一生の不覚』とは正にこのこと。。。
12日間(気持ちだけですが)一緒に走り続けて、歴史的なゴールの瞬間を見逃してしまいました。
フィニッシュ・ラインの先にある撤収エリアへ向かうとそこに元気な本多有香の姿がありました。
13頭立てでスタートし、最後のチェックポイントで8頭まで減っていた犬たちは、更に1頭減って7頭になっていました。
憔悴し切ってフラフラで辿り着くんじゃないかと予想していたのですが、意外や意外。本人は至って元気でまだまだ走れそうな様子。ビール片手に終始満面の笑みを浮かべていました。

私と同じく仕事だった妻もゴールの瞬間こそ見逃したものの、フィニッシュ・ライン上の彼女をかろうじて写真に収めてくれていました。さすが相方、感謝感謝。

ゴール直後の本多有香。(妻による撮影)

初完走後満面の笑みを振りまく本多有香。

2012年2月16日 午後2時37分 -本多有香24チーム中15位にてユーコン・クエスト【Yukon Quest】初完走。

過去のレースで彼女は不運に見舞われ、つらい想いもしてきました。(それらに関しては私も過去の記録や記事で知るのみです。)そして今回のレースも決して容易なものではなかったはずです。彼女のリード・ドッグはレース前に怪我をしてしまい出場出来ませんでした。また、スタートから243マイル(約390km)地点のチェック・ポイントではチームの内の1頭が妊娠していることが判明します。(レース中にホワイトホース地元新聞の一面にカラー写真入りでトップ・ニュースとして報じられました。)先にも述べたとおり、13頭立てでスタートしたチームはゴール時には7頭にまで減っていました。しかしユーコンからの出場者としては一番にゴールした彼女は過去の経歴も手伝ってこの田舎町で一躍『時の人』となり、ゴールの様子もまた同紙の一面を飾りました。元々実直で純粋に犬ぞりに懸ける彼女の姿勢は求心力があり、彼女を知った人は彼女を応援せずにはいられなくなります。今やこの町の多くの人が彼女の存在を知り、彼女は自分の成し遂げた実績で更なるサポーターを獲得したのです。

翌日の夜、【Post Meet the Mushers】 という、マッシャーに直接会えるイベントがあったので私も顔を出しました。行った時間が遅かったので人も減っており、多くのマッシャーも引き上げてしまっていましたが、本多有香と2012年チャンプのヒュー・ネフ【Hugh Neff】はまだいました。
この時ようやくレース後まともに話せたので、「おめでとう!」とガッチリ握手しました。
応援したい気持ちは山ほどあったのに、われわれ家族も新天地での基盤作りに精一杯で結局何もしてあげられなかったと残念に思っていました。
しかし彼女は開口一番我々にお礼を言い始めたのです。
「“あれ”がなかったらフェアバンクスに行けずスタートさえ切れなかったんで・・・ありがとうございました。」
“あれ”とは、2010年の夏に彼女が困り果てているとき、我々夫婦が彼女にしてあげることの出来たたった一つのことでした。時間もお金も無かったので物理的にも金銭的にも手助けしてこれませんでしたが、そのときだけは我々にも出来ること・・・『知恵』を使ってその問題を解決してあげることが出来たのでした。レース直後の舞い上がっているときにそのときのことをちゃんと覚えていてお礼を言ってもらえたこと、彼女の成し遂げた偉業に少なからず貢献出来ていたと実感出来たことで少し目頭が熱くなりました。
“あれ”が何だったのかは彼女と我々夫婦だけの秘密です。。。

その後、人が引いていたのでヒュー・ネフ【Hugh Neff】と少し話をすることが出来ました。ユーコンやアラスカでユーコン・クエスト【Yukon Quest】に出場するマッシャーといえば一目置かれる憧れの存在で、ましてやヒューは優勝者。緊張しながら話し掛けましたが拍子抜けするほど気さくな人で、どこにでもいる近所のオッサンのようでした。『凄い』のに全く飾らない・・・庶民的なこの身近さがまた犬ぞりレースの魅力の一つかも知れません。ヒューが有香さんと話しているときにお願いしてツー・ショットを撮らせてもらい、ついでにお願いすると我々家族との記念撮影にも気軽に応じてくれました。そしてこの日から私のジャケットの背中には二人の誇らしいマッシャーのサインが輝いています。

ヒュー・ネフと本多有香。

これからは『情熱』の大切さを常に背中に感じつつ…

夢を現実にしていく様子を目の前で繰り広げてくれた本多有香。しかし私が知っているのはここ数年の彼女でしかありません。どんな経緯で今に至るのか誰しも気になるところでしょう。
大学3年生のときにオーロラを観に行ったカナダ・イエローナイフで犬ぞりと出会い、1998年に25歳で犬ぞりを習得するため単身カナダ/アラスカに乗り込むと、2006年にYukon Quest初出場を果たし、2007年、2009年に続く4度目の挑戦にして今回初めて完走を果たしました。
彼女の経歴について詳しいインタビュー記事を見付けましたので以下のサイトを是非ご覧下さい。
FAUST ADVENTURERS' GUILD - 大好きな犬たちと冒険できることは、私にとって何物にもかえがたい時間です - (2011年9月)
Earth Dreaming~ガラスの地球を救え~ - (2006年7月・8月)


大なり小なり夢は誰しも抱くもの。夢を叶える人というのは叶えられない人と何が違うのでしょう。
今回ユーコン・クエスト【Yukon Quest】という壮大な競技を通して本多有香、ヒュー・ネフ【Hugh Neff】、ランス・マッキー【Lance Mackey】という夢を叶えた人たちを見てきました。彼らに共通しているのは・・・ありきたりな表現ですが『不屈の情熱を持っている』ということでしょう。そして彼らは『情熱』というものが必ずしも「強く激しく燃える想い」だけを指すのではないのだということを教えてくれました。本人にどんなにやる気があっても、自分を取り巻く環境、生活、家族、健康問題、経済的問題、法律問題など、自分の思うようにいかない事のほうがほとんどかもしれません。そこで腐ってしまうこともあるでしょう。しかしどんなにつらい状況にあっても夢を諦めない強い意志・・・それは激しい風雨に晒されて燻ぶったとしても消えることなくまた燃え上がるしぶとい森林火災の火のような・・・そういうものかもしれません。夢を叶えられない人はどこかで限界を感じ諦めてしまいます。しかしその『限界』を決めてしまうのは本人に他ならないと思うのです。諸般の事情で当初の予定通り・計画通りにいかなかったとしても、少しやり方を変えてまた夢の実現に向かう・・・そういう粘り強さと執念とも言うべき『情熱』を持つ者だけが、最後に夢を勝ち取れるのかもしれません。

果たして夢を叶えた者は次へどこへ向かうのか。
そこで燃え尽きる人も満足してしまう人もいるのかもしれませんが、彼らは既に次へ向けて動き出しています。
また来年、今度はホワイトホースのスタート・ラインで彼らの雄姿を見る日を今から心待ちにしています。 

おわり




あとがき:
ホワイトホースへ越してきて2年、3度目にして初めてユーコン・クエスト【Yukon Quest】を最初から最後まで追いました。本多有香という人との出会いもあり、回を重ねるごとにユーコン・クエストへの興味・関心は深まっていきました。今回のクエストのあと、いろんな思いが頭を駆け巡り、ブログに綴り始めました。それは、『写真』が私にとって「撮らずにはいられない」表現の手段であるのと同じで、「書かずにはいられない」という感覚でした。それは彼らが与えてくれた『感動』を伝えたかったのもありますが、それ以上に彼らを通して感じた『情熱』の大切さを伝えたかったように思います。更にはその『情熱』、特に友である本多有香の『情熱』に少しでも力になれはしないか・・・という思いもあります。私がそうであったように、日本において犬ぞりレースはほとんど認知されていないと思います。私の書くブログなど果たして何人の人の目に触れるのかわかりませんが、それでもユーコン・クエスト【Yukon Quest】を始めとする犬ぞりレースと本多有香というマッシャーのことを一人でも多くの人に知ってもらえればと思い書きました。一見華やかな競技ですが、多額の資金を必要とするのは言うまでもありません。何が起こるかわからないのがインターネットの世界・・・。正直なところ、このレポートを読んで共感して下さった方がこれを拡散してくれることも暗に期待しています。逆に全く別のところから犬ぞりに興味を持った人が検索してここに辿り着くかもしれません。企業・個人、どなたでも本多有香に興味を持ちスポンサーを名乗り出て頂けるなら、悦んで取り次がせて頂きます。宜しくお願いします。また、本多有香のファンになったぞという方は今後も彼女の活動を一緒に応援しましょう。

2012年2月27日月曜日

Yukon Quest 2012 ③

2012年2月14日、バレンタイン・デー。
徹夜明けで早朝5時にヒュー・ネフ【Hugh Neff】の感動的なYukon Quest初勝利を見たあと、眠い眼を擦りながら3位で入ってくる選手を待ちました。

その男の名はランス・マッキー【Lance Mackey】…犬ぞり界で彼の名を知らない人はいません。

ユーコン・クエスト【Yukon Quest】と並び、世界で最も長くて過酷な犬ぞりレースにアイディタロッド【Iditarod】があります。
アラスカのアンカレッジ【Anchorage】~ノーム【Nome】間で1973年より行われているこのレースの創始者の一人であり、1978年にわずか一秒差で優勝したのがランスの父ディック・マッキー【Dick Mackey】でした。ランスの長兄リック【Rick Mackey】もまた1983年に優勝しており、ランスがマッシャーへの道を辿るのは自然な流れだったのかもしれません。父と兄の栄光を背負い、ランスもまたアイディタロッド【Iditarod】の優勝を目指しました。

2001年、そんなランスを悲劇が襲います。咽喉癌と診断され、広範な手術と放射線治療を受け、彼の夢はついえたかに思われました。ところが彼は胃に栄養チューブを刺した状態で2002年のレースに戻ってきました。この年はレース半ばで棄権することになりましたが、翌2003年に完全休養を取ったのち彼は再び犬ぞりを再開し、2005年にもう一つのビッグ・レースであるユーコン・クエスト【Yukon Quest】に出場すると、初参戦にして初優勝を飾ったのです。その後2006年、2007年、2008年と4年連続優勝し、合わせて2007年にはそれまでの常識では不可能といわれていた偉業を達成して見せます。ユーコン・クエスト【Yukon Quest】の直後、アイディタロッド【Iditarod】に再挑戦し、ついに悲願の初優勝を果たしたのです。1,000マイル級のこの二つのレースの間隔はたったの2週間。それまでは誰もがこの二つの過酷なレースの同年優勝は不可能だと考えてきたのです。彼の偉業はこれだけにとどまりませんでした。翌2008年もまた両レースに優勝して見せたのです。その後も2009年、2010年のアイディタロッド【Iditarod】を制し、ユーコン・クエスト【Yukon Quest】4年連続優勝、アイディタロッド【Iditarod】4年連続優勝、内2回は両レース同年優勝というとんでもない記録を残しました。


私が初めてユーコン・クエスト【Yukon Quest】を見た2010年、ランスは2位でしたがまだ犬ぞりレースをよく知らなかった私は優勝者ハンス・ガット【Hans Gatt】のゴール・シーンを見ただけで満足し、2位以降のゴールは見に行きませんでした。ホワイトホースがスタートだった昨年(2011年)はランスは出場しなかったので見ることが出来ませんでした。
少し犬ぞりレースのことがわかってきた今年…犬ぞり界の王者ランス・マッキー【Lance Mackey】をようやくこの目で見る機会が訪れました。
到着予想は午前10時~11時頃。10時過ぎにフィニッシュ・ライン付近へ着き、少し考えました。フィニッシュ・ラインの周りは柵に囲まれ中にはプレスしか入れません。フィニッシュの瞬間はプレスの人たちが沢山撮ることでしょう。そこで柵の途切れるフィニッシュ・ライン手前50mの辺りでトレイルのすぐ脇にしゃがみ込んで到着を待ちました。犬ぞりとはいえ超至近距離を走り過ぎるのでほんの一瞬の出来事でした。


ついに来た!ランス・マッキー!!

大きな大会とはいえ、ゴールのすぐ手前で柵も無くこんな至近距離で撮れるあたりがレースを身近に感じられていいです。良くも悪くも田舎だなあと改めて感じました。


3位でフィニッシュ・ラインに走り込む。

2012年2月14日午前10時39分。ランス・マッキー【Lance Mackey】3位にてフィニッシュ。


今年は3位だったが余裕の表情。

レース後のインタビューで彼は来年のユーコン・クエスト【Yukon Quest】参戦を表明しました。今年の彼のチームは若く、経験を積ませる年だったようで、「彼ら(犬たち)は今やベテランで、来年戻ってくるこのチームを破るのは大変だよ!」と語っています。


ブーツを脱ぎふやけた足を観客に見せておどけるランス。



王者の余裕と貫禄。



レース後のこういうシーンを見るのが凄く好きです。



言葉は要りませんね(笑)。感じて下さい。

今回一連の写真をYukon Questのfacebookページに投稿したのですが、ランスの人気は凄いと実感しました。ヒュー・ネフが私のブログなど見るわけがないし万が一見たとしても日本語が読めるわけないので書きますが、感動的な優勝を飾ったヒューよりもランスの写真の方が反響が大きかったのです。今回実際に二人を間近で見ましたが、ヒューは身近に感じたのに対し、ランスには明らかにオーラを感じました。ある人がランスの写真にたった一言書き込みました。

“a living legend.”

この一言が全てを語っていると思います。
最近知ったのですが、そんなランスは私と同じ歳でした。私ももっと熱く生きねば!


今回はランスの話に終始してしまいましたがそのころ本多有香は…ヒューたちトップがゴールしたときに休憩していたチェックポイントを午前7時に出発し、次なるチェックポイントを目指しているところでした。ゴールまでもう少しとはいうものの最後まで何が起こるかわかりません。犬ぞりレースは怪我をして走れなくなった犬たちを途中で収容ていくのですが、13頭立てでスタートした本多有香の犬たちはこの時点で5頭脱落して8頭にまで減っていました。おそらく2日後と予想されるゴールに向けて、応援するほうもラストスパートです。

つづく


2012年2月23日木曜日

Yukon Quest 2012 ②

全長1,000マイル(約1,600km)…日本人にはピンとこない距離かもしれません。例えば青森から最短距離(直線距離ではない。道路で。)で下関までが1,600km弱と言えばその長さがわかるでしょうか。その距離を2月の厳冬期に犬ぞりで競う…それがユーコン・クエスト【Yukon Quest】です。



そんな過酷なレースに挑戦し続ける日本人マッシャー『本多有香』。
2006年、2007年、2009年と既に三度出場しているのですが、まだ完走はありません。私が彼女と出会ったのは2010年3月。拠点をアラスカからユーコンへ移し、2012年の出場へ向けて基盤を作り直している頃でした。自分の夢を実現するために、悶々としながらも少しずつ前進していく彼女の強さ、逞しさに、少し似た状況にあった私は何度励まされ勇気付けられたかわかりません。

ついにやってきた彼女の晴れ舞台、Yukon Quest 2012。今年のスタートはアラスカ・フェアバンクス。スタート数日前からYukon Questのオフィシャル・サイトとfacebookページで随時更新される写真やレポートをチェックし始め、 こちらの緊張と興奮も最高潮に達した2月4日午前11時54分、本多有香がスタートを切りました。今年から全マッシャーはSPOTというGPS救難信号発信装置を携行することになりました。私も所有しているこの装置は万一の時のSOSを発信出来るだけではなく、位置測位機能を利用してオンラインの地図上に現在位置を10分置きに記録する『トラッキング機能』も備えています。そのため暇さえあれば彼女の位置をパソコンで確認するという日々が続きました。アラスカで、ユーコンで、そして日本で彼女を支え応援してきた多くの人たちが、私と同じようにパソコンにかじり付いて彼女と共に走っていたのだと思います。情報技術の進歩のおかげでチェックポイントで撮影された写真も即時にアップロードされ、まだ遥か彼方からこちらへ向かってくるマッシャーや犬たちの様子が凄く身近に感じられました。


さてレースはと言いますと、中間地点のドーソン・シティー辺りから、ヒュー・ネフ(Hugh Neff)とアレン・ムーア(Allen Moore)という二人のベテランの一騎打ちの様相を呈してきました。ヒューは有香さんの友人で、ユーコンでキャビンを建てるまでの間お世話になったこともあるという間柄。Yukon Questには今回で12回目の出場となる大ベテランです。常に上位に名を連ねるものの、不運に見舞われ未だ優勝がありません。レース終盤はこの2チームが抜きつ抜かれつを繰り返し最後まで緊張が続きました。ゴールから100マイル(約160km)の最後のチェックポイントでは、トップのアレンに対し12分差でヒューが続いていました。まだまだどうなるかわからないと思われたこの状況で、ヒューに30分のペナルティーが科されてしまいました。必要装備である斧を紛失してしまったためでした。これで42分差に開き、勝負は決まったかに思われました。2009年のレースでもヒューはミス・コースで2時間のペナルティーを科され、4分差で優勝を逃すという苦汁をなめています。
2月14日の午前0時頃から私もパソコンと睨めっこしながら徹夜でゴールを待ちました。先に述べたGPS装置が現在位置を知らせてくれるのですが、残念ながら同じタイミングでは更新されません。更新されるタイミングはそれぞれのマッシャーがスイッチを入れた時点から10分置きなので、常に時間差が生じてしまうのです。ヒューのほうがペースが速く、徐々に追いついているのはわかるのですが、ここまで接戦になるともうどちらが前なのかわかりません。午前4時頃、私もダウンタウンに設置されたフィニッシュ・ラインへと向かいました。
犬ぞりレースに熱狂的な地元の人たちですが、さすがにこんな時間なのでひと気はまばら。待つこと約1時間、ついに「ダウンタウンの外れまで来ているのでもうすぐだ」というアナウンスが流れました。全員が真っ暗闇のコースの先を固唾を呑んで見守ります。誰かが「来たぞ!」と叫び、暗闇の中を動くヘッドランプの明かりが確認できました。少しずつ近付いてくる光に拍手と歓声が次第に大きくなり、ついに誰かが叫びました。「ヒューだ!」。2月14日、バレンタイン・デーの午前5時14分。12回目の出場にして彼はついに、初めて、トップでフィニッシュ・ラインを越えたのです。大歓声も束の間、また誰かが叫びました。「アレンが来た!」。本当に一瞬の出来事でした。後から公式発表で知ったのですが、その差はたったの26秒だったそうです。ヒューの記録は9日と17時間14分49秒。1,000マイルを走りきった上での差、“26秒”は大会史上最も僅差の記録となりました。ちなみにそれまでの記録はヒューがペナルティーのために2位に甘んじた2009年の“4分差”だったそうです。

悲願の初優勝直後のヒュー・ネフ
 1,000マイル…それだけでも途方も無く長い距離なのに、初めてYukon Questに参戦したその日から、彼は12年間かけて12,000マイルもの距離をこの瞬間のために走り続けてきたのです。彼のことを直接知らない私でも胸に熱いものが込み上げてきました。

プレスに囲まれインタビューを受けるヒュー
 最後のチェックポイントで受けたペナルティーに関して、レース後のインタビューで彼はこう答えています。
「それはまるでデジャ・ヴーのようだった。。。そいつはヒュー・ネフのKarma(業)なのさ。」

『26秒差の2位』でも清々しかったアレン・ムーア

僅差で敗れたアレンでしたが彼の顔は意外なほど晴れやかでした。
「私は出来得る限りの最良のレースをした。彼の犬たちがほんの少し速かっただけ。そいつがこの差さ。。。」

マッシャーとは…なんと気持ちの良い人たちなのでしょう。互いに勝つために走りはしたけれど、お互いの健闘を心から称え合う。順位は結果に過ぎなくて、レースを楽しめたことが大切なのだと…この人たちは本当に純粋に犬ぞりが好きなのだなと感じました。

レースを終え、共に戦った犬たちと

家に帰り着き、興奮も冷めやらぬままパソコンを開いて確認すると、本多有香はゴールまで250マイル地点のチェックポイントで休息中でした。まだ2日はかかりそうですが着実に近付いて来ています。安堵したので寝たいところでしたが、3位のチームが10時~11時頃に着きそうだったのでそのまま寝ずに頑張りました。何故なら次に入ってくるその人は、既に『生きる伝説』と呼ばれる“あのマッシャー”だったからです。。。


つづく


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2012年2月21日火曜日

スノーシューでお散歩

Yukon Questの続きは書くのに気合がいるのでのんびり少しずつ書いていきます。

2月はQuestに夢中になっている間にあっという間に時間が経ってしまいました。せっかく買ったスノーシューもまだあまり試せていなかったので、今日は家のすぐ近所の森でスノーシューを履いて散歩してきました。

住宅街の外れですが、森に入るとそこら中に動物の足跡と糞があります。

跳ねているのでかんじきウサギ(Snowshoe Hare)だと思います。現在Animal Tracks勉強中。。。

トレイルを歩く分には問題ないのですが、ちょっとトレイルをそれて分け入るとスノーシューを履いていてもこれだけ埋まってしまいます。


 私の買ったスノーシューは短めで、体重が軽いからこれで十分だろうと思ったのですが、オプションの延長テールが必要そうです。もちろん雪の深さや雪質にもよるのでしょうが。。。この状態で歩くには毎歩ひざの高さまで足を上げねばならず、しばらくすると汗だくに…ちょっとしたいい運動でした。ちなみに帰ってきて温度計を見たら+3℃。暑いわけです。まだ2月だというのにこの暖かさは異常…もう一度冷え込みはくるのでしょうか。。。


さて、歩き回ってはみたものの本日お会い出来たのはアカリスさん2匹だけでした。リスは小さくすばしっこいのでまだ慣れないカメラの練習には丁度良いお相手。

お食事中に失礼しました。

真下から失礼。

こちらに興味があるようで…。

ふさふさのしっぽが綺麗ですね。

この気温が続くと例年より早く雪が無くなってしまうかもしれないので雪があるうちに時間を見付けてまた出掛けたいと思います。


おまけですが最近オーロラがよく見えます。バレンタイン・デーには午後8時前という早い時間から凄いのが出始めました。気温も-5℃ほどと暖かかったので多くの人が外に出て眺めていたようです。

2月14日バレンタイン・デー 午後9時前

2月14日バレンタイン・デー 午後9時前

時間が早かったので多くの子供たちも見られたことでしょう。3歳になったばかりのうちの娘も初めてオーロラを見ました。「おそら、みどり、きれいねー」と、何かが起こっているのだということをきちんと認識していました。

2月18日 午後8時前


2月18日 午後8時前


2月18日 午後8時前


2012年2月20日月曜日

Yukon Quest 2012 ①

書きたいことが山ほどあるときというのはかえってなかなか筆が進まないものだったりします。頭の中を駆け巡る想いを整理するのに時間がかかるので。。。今年のYukon Questは正にそんなレースでした。

日本では馴染みがないかもしれませんが、Yukon Questとは私の住むカナダ・ユーコン準州・ホワイトホースとアラスカ・フェアバンクス間で毎年2月に行われる全長1,000マイル(1,600km)の犬ぞりレースです。私も極北に興味を持つ者として随分前からその存在は知っていましたが、野生動物の撮影に注力するあまり詳しいことはよく知りませんでした…この地に住むようになるまでは。。。

この地に越してきた2010年2月。まだ住むところも見付からず、仕事も無く、先が全く見えない不安の中で見に行ったのがYukon Questでした。このレースは毎年ホワイトホースとフェアバンクスでスタートとゴールを入れ替えながら行われます。この年はホワイトホースがゴール。そろそろトップがゴールするらしいと聞き付けてフィニッシュ・ラインへ向かいました。マッシャー(犬ぞり師)の名前すら知らない状態でしたが、トップで戻ってきたのが地元のマッシャーで4度目の優勝と知り、地元の人たちの熱狂の渦に圧倒されたのを覚えています。

2010年2月 - 初めて見たYukon Quest。優勝者ハンス・ガットのゴール・シーン

その後、生活のために始めた仕事場で知り合ったのが『本多有香』という日本人女性でした。彼女がマッシャーでYukon Questに出たことがあり、その頃は次回の出場へ向けて準備中だということも聞いていました。まだYukon Questのことをよく知らなかった私は最初、「物好きな人もいるもんだ。」「でもこの人熱いぞ。面白そう…。」と感じたことを思い出します。

日々の生活の中で毎日のように彼女と顔を合わせるようになったので、私も自然とYukon Questに関心を持つようになっていきました。さらにこの年のレースの模様がNHKによって取材されていて、後からDVDを借りて放送を見る機会もあり、なかなか見ることの出来ないレース中の様子を写真ではなく映像で見ることが出来、マッシャーの駆け引きの様子も上手く収められていたので一気に知識が深まっていきました。

そして迎えた2011年2月。この年のスタートはホワイトホース。ゴールでは各チームが数日間にわたってバラバラと到着するのに対し、 スタート時は全チームが一堂に会するので圧巻でした。
本多有香はと言いますと、本レース出場を2012年に定めており、この年は若い犬達に経験を積ませるためにジュニア・レースであるQuest 300という300マイルのレースに練習出場し、無事完走しました。

2011年2月 - Quest 300のスタートを待つ本多有香

2011年2月 - Quest 300のスタートを切る本多有香


彼女は元々アラスカ側を拠点に活動していました。しかし、アメリカ合衆国の一部であるアラスカは周知の通り永住権の取得は困難で、アラスカと日本を行ったり来たりの生活が続いていたそうです。こちらで定住できる拠点を築かなければならないという思いから、慣れ親しんだアラスカの環境を離れ、カナダ・ユーコンへ単身乗り込んで来ました。アラスカで多くの人が彼女を支えたように、ユーコンでも彼女の情熱に引き寄せられた人々が次第に集まり多くの人が彼女をサポートするようになりました。土地を借り、キャビンを建て、自らのKennel(犬舎)を作り上げました。平行してカナダ移民権も取得し、文字通り自らの『拠点』を築き上げたのです。

それまで築き上げた全てを一度手放し、ゼロからの再出発…。その状況は私の直面していた状況にも重なり、特別な共感の思いを抱いて応援していました。
同じ職場で働いたのは約一年。ほとんど時を同じくして二人ともその仕事を辞めたため、頻繁に顔を合わせる事は無くなりました。常に何かしら力になれたらと思いつつも、私自身もまだまだ不安定な状況が続いていたのでほとんど何もしてあげられませんでした。
昨夏、私がようやく機材を揃え直し撮影活動を再開したとき、それを私の妻から聞いた彼女は喜んでくれていたと聞きました。彼女も少なからず共感の思いで私を応援してくれていたのかも知れません。

そして2011年の終わり、彼女が2012年のYukon Questにエントリーしたという知らせが入りました。
ついに『時が来た』のです。。。


つづく


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2012年2月14日火曜日

週末の過ごし方

ここ最近は気温0℃前後と暖かな日が続いています。そこでこの週末は家族で近所の湖へ行ってきました。暖かいといっても当然湖は完全に凍っています。目的は3歳の娘をそりで遊ばせてやることと、先日車を壊す原因となってしまった新しいスノーシューを試すため。忙しかったのと、修理中で車が無かったため未だ試せていませんでした。

念願だったスノーシュー。履き心地上々。気分も上々。


凍った湖の上は吹きさらし。あいにく風が強かったので少し寒かったのですが楽しめました。



風で雪が巻き上げられて綺麗でした。


湖上で撮影をしていると爆音が近付いてきて…
「おーい、撮影してるんですけどー。。。」
スノーモービルが横切っていきました。私の後ろにも広大なスペースがあるのですが、レンズを向けている目の前を通り過ぎていきました。こちらの人たちのこういう無神経さには今更もう腹も立たないほど慣れました。今では逆に「面白いカットが撮れる!」と喜んで受け入れるようになりました。




帰り支度をしていると…先ほどまでベビーカー(バギー)を押しながら湖岸を散歩していた人が湖上を横切り始めました。なんとも雄大な散歩風景です。ちなみに我が家も所有しているこのバギーは元々自転車で引っ張るトレーラーのため車輪が大きく雪道や未舗装路も難なく進めます。子供が乗るところはキャノピー状になっていて完全防風仕様です。強大な隣国が大抵の優れた製品を供給してくれるので誇れる製品が少ないカナダですが、この製品はカナダ・カルガリー製。環境が生み出した製品ですね。


夜は天気が良かったので久しぶりにオーロラを撮りに出掛けました。町外れまで来て街灯の光に邪魔されなくなってくるとようやく肉眼でも薄っすらと出ているのが確認出来ました。しかし一番強そうな方角に雲がかかっていました。何ヶ所か移動しつつ撮影しましたが強くなる気配も無く、観光客のようにオーロラのために夜通し起きているわけにもいかないので2時前で切り上げました。いつもこの「切り上げ時」の見極めが難しいです。


 写真を見るとそれなりに出ているようですが、これはカメラの感度が良いためで、肉眼ではぼんやりと白っぽく「たぶんこの辺りに出てるな」程度です。つまり見えていないものまで写ってしまう…最近のデジカメは本当に凄いですね。

2012年2月10日金曜日

復活

「なんで今更・・・」そんな思いに駆られています。現在日本で開催中のカメラショー「CP+」で各メーカーから新製品が発表されました。その中でもワクワクせずにいられなかった機種があります。オリンパス【OM-D E-M5】。私が数年前まで使い続けていたフイルム一眼レフカメラ【OMシリーズ】をデジタルで蘇えらせたようなモデルです。





オリンパス【OM-D E-M5】

フイルムカメラでもオートフォーカスや自動露出、ズームレンズが当たり前の時代に、自分にとって最も重要な機能は最新の自動化ではなく『小型軽量でいて堅牢であること』だと気付き、キヤノンからオリンパスに乗り替えた経緯があります。中古で高校生のころ気になっていた【OM-2 SPOT/PROGRAM】という機種を入手して使い始め、すごく気に入ったので生産終了間近だった最終モデル【OM-3Ti】を購入し、その後も中古で【OM-4Ti Black】と【M-1】を買い足し惚れ込んで使っていました。

一番右がOM-3Ti。ユーコンやアラスカで常に行動を共にした愛機。

フイルムにこだわり使い続けていましたがデジタル化の流れには逆らえずデジタルへ移行する際、現行で最も自分の要望にあったモデルを再検討し、オリンパスには見合った機種がなく今後の方向性も不透明だったためペンタックスに乗り替えました。そして今頃になって僕が望んでいたような機種が出てきたのです。しかしフイルム時代の【OM】と最も異なる部分は、ファインダーが光学式ではなく液晶であること。形は「一眼レフ」っぽいけれど、中身は最近流行の「ミラーレス一眼」だということです。液晶ファインダーを否定はしないけれどまだまだ発展途上なので信頼出来ないというのが正直なところ。それ以外は今オリンパスが持てる技術の全てを注ぎ込んだとも言える内容なので非常に魅力的です。もし今でもオリンパスを使い続けていたなら液晶ファインダーといえどトライしていたことでしょう。レンズ・ラインナップはまだまだなので大問題ですが。
オリンパスは会社が大変な時です。社員さんは頑張っているので応援したいですね。

再びメーカーを乗り替えるつもりは無いので私はリコーと一緒になったペンタックスの今後に期待して祈ります。

余談ですが先日壊れた私の車も復活しました。修理代でこのカメラを買えていた…なんていう事実は気付かない方が幸せ。。。

2012年1月24日火曜日

雪道スタック

昨日、スノーシューをするために近くの山へ向かいました。
どうやら寒波も通り過ぎ、気温は-20℃まで上がりました。以前からずっと欲しかったスノーシューを10日ほど前にオンラインで注文し、前日にやっと届いたので喜んで出掛けました。ちなみにあらゆる買い物において品揃えが限られているこの地では、店頭で取り寄せやオンラインショッピングを多用するのですが、10日で届いたのは早い方で、2週間から1ヶ月待ちというのが当たり前です。

目的地へ向かう山道は交通量が多いため圧雪されていて快適に走れます。しかし途中で道が細くなり、そこからの轍は車一台分。雪の無いときは対向で走れる道ですが、冬場はそこから先へあまり車が入らないのか中央に一台分の轍があり路肩は雪が深い感じです。ちょっと迷ったのですがそのまま進みました。しばらく走ると轍がだんだん深くなりハンドルを取られるように…。ちょっとマズイかなと思い戻ることにしました。しかし車を切り返す場所も無く、仕方なくバックで元来た道を下り始めます。しかしバックでも当然ハンドルを取られ…車は徐々に右側へ。。。「ヤバイ!」と思って止めた時には時既に遅し。路肩の雪の深いところに右前後輪埋まってしまいました。


これまで散々雪道を走ってきて、路肩でスタックする車も沢山見てきました。その多くが四駆だったので、「スタックする人は運転が下手か四駆を過信している」と思っていました。そして今回まんまと自分が四駆を過信してはまってしまいました。
先にも述べたように自分は車があまり入ってこないところまで入ってきています。車が通りかかる期待はほぼ持てません。何とか自力で脱出すべく雪を掻き、車に積んでいたブランケットなどをタイヤにかませて何度も何度も乗ったり降りたりを繰り返しますがタイヤは無常にも空転するばかり。
一時間以上して自力脱出を断念。幸い街のすぐ近くなので携帯も繋がるため、たしか休みのはずの友人に電話して救援依頼。無事連絡がついたので彼が到着するまでまたひたすら雪掻き。

しばらくして友人が到着。彼の車もスタックすることを恐れ、電話で少し下のパーキングスポットへ止めるように言っていたのですが彼はそのまま登って来てしまいました。路上で少し言葉を交わしたあと、来てしまったものは仕方が無いのでとりあえず私の車を出そうということになり、彼がもう少し車を動かして駐車することに。ここで私がひとこと言えば良かったのですが…私の車の前まで行き自分の車も路肩へ寄せ始める彼。「寄せたらアカン!」と(ここは自然に関西弁で)叫びながら走り寄りましたが窓を閉めている彼には聞こえるはずも無く彼の車もスタック。。。自分もはまったことを認識して「あちゃ~」と車から降りてくる友人。ちなみにそんな彼の車も四駆です(苦笑)。

とりあえず彼を待っている間に十分雪掻きの済んだ私の車を出すことに。ちょっと押してもらったら簡単に出ました。この「ちょっとの押し」が一人ではどうにもならずもどかしい思いをしました。今度は二台をロープで繋いで引っ張り彼の車も無事脱出。二台揃ってバックでそろりそろりと開けた場所まで下って行きました。二台とも途中何度か右へ左へ寄って再スタックするのではとドキドキでしたが何とか無事開けた場所へ辿り着き、切り替えして一段落。時計を見ると既に3時半を回っていました。まだまだ日が短いですから結局スノーシューは断念。「何しに来たんだろう」という一日でした。

脱出後の友人のひとこと。「ミイラ取りがミイラになってすいません…」
とんでも無いです。おかげで助かりました。こちらこそ休みの日に申し訳なかったです。
とにかく笑い話で済んで良かったです。

最近は時間があまりないのでいろんなところで焦っていて空回りしている感じです。今回も気持ちに余裕があれば、怪しい道路状況を承知で無理して入らなかったでしょう。四駆を過信してはいけないとわかっていたはずなのに過信してしまいました。近所だからという気の緩みもありました。積んであったプラスチック製スコップの持ち手は途中で折れてしまいました。何が起こるかわからない極北の地。車に積んでおくべきものを改めて考えさせられました。携帯の電波も届かないような遠隔地でこのようなことが起こったらと思うとぞっとします。結局スノーシューも出来ず、ヘトヘトに疲れ、友人にまで迷惑をかけたとんでもない日でしたが、多くのことを学んだ収穫の多い一日だったのかもしれません。ただ一つの気がかりは…車から異臭がすること。マニュアル車なのですが脱出を試みて半クラッチで無理し過ぎたかもしれません。最悪の場合クラッチ交換。。。高い授業料になるかもしれません。

いろんなことが上手くいっている様ないっていない様な…とにかくいろいろと考えさせられ学ぶことの多い今日この頃です。そういう時期なのかもしれません。

2012年1月20日金曜日

ウェブマガジン【photoJ.】連載 3 (最終回)


早いものでウェブマガジン【photoJ.】の連載最終回です。3回目の今回のテーマは「人」。日本人には縁遠い極北のこの地に生きる人々を紹介。
正直なところ私は「人」の撮影が苦手で、今まであまり撮ってきませんでした。今回編集側のリクエストで「是非極北で生きる人々も紹介して欲しい」ということになり、慌ててストックを確認し、足りない分は追加撮影しました。何とか形にはなりましたが、今までにもっと撮り溜めてこなかったことを後悔しました。今回良い勉強をさせてもらったと思っています。
当初目新しかったものが、住み始めて「日常」になってくると当たり前のことのようになってきてしまいます。しかし他の地に住む人から見ればこの地は特殊で新鮮なことが沢山あるはず。気持ちを新たに日常生活の中でも感性を鋭く保ち撮っていかなければと思います。
以前に撮っていたものは単に「スナップ」であまり考えなく撮っていましたが、今回新たに撮った分は「人に観てもらう」という意識の元で撮影したので自分の中でも新たな「感覚」でした。「人の撮影も案外面白いかも…」と思えただけでも大きな収穫です。また次に発表の機会を得られたならクオリティーアップした作品をお見せしたいものです。

今回の連載にあたり協力して下さった皆様ありがとうございました。

2012年1月19日木曜日

-38℃

これまで暖かかった(と言っても最高で0℃ほどでした…)この冬ですが、ようやく数日前から寒波がやってきて冷え込みました。今日の午前11時で-38℃。午後には少し上がるようです。
「寒い」を通り越して「痛い」ですが、風が無いのが救いです。風や湿度で体感温度は更に下がります。数日前には「体感温度-50℃」と表示されていました。そんな時はさすがに外に出る気も起きません。



温暖化のせいか、ユーコンの冬は引越して来る前に想像していたほど寒くないなと感じています。昔から住んでいる人に聞くと、やはり年々暖かくなってきているそうです。それでも時おりこうして寒波がやってきます。これぐらいの寒さが来ないと冬になった気がしなくて物足りないのですが、来たら来たでやはり寒いので早く過ぎ去ってくれと思います。予報ではもう明日から暖かく(と言っても-25℃とかですが…)なるようです。-20℃位までならまだまだ外で遊べるので来週は遊べるかな?

2012年1月13日金曜日

ウェブマガジン【photoJ.】連載 2


先週から始まったiPad向けウェブマガジン【photoJ.】連載の2回目掲載分が発行されました。
今回の連載は3部構成で、先週の第1部が「風景」、今週の第2部が「野生動物」、来週の第3部が「人々」となっています。
野生動物を主要被写体にしている私にとっては、今回の分に最も力が入っているのは言うまでもありません。少しでも多くの方にご覧頂けると幸いです。

2012年1月10日火曜日

幻日 【Sun Dog】


昨日は友人と3人で人生初のアイスフィッシングに行ってきました。釣り自体やるのは小学生のとき以来だと思います。
今年のユーコンの冬は今までのところ暖冬で、特にここ最近は摂氏0度位まで上がっていたのですが、よりによって昨日から冷え込み始めました。細かい作業の度に手袋を外して素手でやるのですが、風があったため久々に指先の感覚を失いました。あとから聞いた話では体感温度-25℃ほどだったそうです。風の影響というのは非常に大きくて、人にもよると思うのですが、私には無風の-40℃よりも風の吹く-20℃のほうがつらいです。熱を風に奪われるのと、冷たい風が痛いためです。
さて、釣りの結果ですが…誰も釣れませんでした。でもまあ釣り自体は口実で、気の合う友と語らいながら自然の中に身を置いているのが心地良いわけですが。今回釣れなかったことを口実に、リベンジと称してまた行きます。

今回魚は釣れませんでしたが、綺麗な幻日を見ることが出来ました。
先日の光柱もそうですが、ここに住んでいるとこういう面白い大気光学現象を度々目にすることが出来ます。幻日の科学的説明は以下を参照して下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BB%E6%97%A5
幻日は今までにも何度も見たことはありますが、まともに写真が撮れたのは今回が初めてです。私の主要被写体は野生動物ですが、最近はせっかく住んでいるこの地のこういう面白い現象も記録していきたいなと思っています。